阿蘇市の「収穫祭」は本当に必要なのか

早いもので、熊本地震は今月14日で発生から半年を迎えました。遠く離れた私たちにとってはあっという間の半年間でしたが、被災地で暮らす皆さんにとっては、長い長い半年間であったに違いありません。観測史上初めて、震度7を2度記録した熊本地震に加え、6月には大雨による浸水や土砂災害にも見舞われ、8月からは度重なる台風、さらに今月に入ってからは阿蘇山中岳の噴火と、あらゆる災害に見舞われている熊本地方ですが、完成済みの仮設住宅は必要戸数の約9割に当たる4052戸。益城町や西原村など7市町村9カ所の避難所で、今も205名の皆さまが避難所生活を送られています。

最大で855カ所、18万3882人が避難所に身を寄せたそうですので、残り205名は大きな前進と言えそうですが、仮設住宅入居者に対するアンケート調査の結果によれば、6割以上が「いつ頃仮設を退出できるかの見通しは立っていない」と回答しているそうで、復興への道のりはいまだ手探り状態のようです。

そんな中、阿蘇市では「奇跡の1000人田植えの収穫祭」と称するイベントが10月16日(日)に予定されているようです。

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熊本地震において、阿蘇市が甚大な被害を受けたことは言うまでもありませんが、「1000人田植え」が決して熊本地震からの復興に貢献するものではなかったことは、拙著「ボランティアという病」でも取り上げさせて戴きました。地域にとって何が必要か、必要でないかは、外部からの支援者ではなく、その地域の人々が決めることです。そして、その地域の中にもいろいろな意見を持つ人がいる、その結果が地域の分断を招くのです。

このイベントに限らず、さまざまな支援活動について、「喜んでいる人いるのだから良いじゃないか」という意見をよく耳にします。地域の全員が喜んでいるのなら、何の問題もありません。ごく一部であれ、喜ばない人がいるという事実が、地域の人間関係を複雑にしてしまいます。「あの家は、ボランティアさんたちと仲良くして、うまくやっている」「自分の家は、ボランティアさんたちと仲良くしなかったせいで、いろいろと損をしている」──こうした不公平感が人々の心の中に鬱積し、ただでさえ被災度合いによって生じている様々な不公平に拍車をかけて行くことになるのです。

現地を歩いてみればわかりますが、ほんの狭い区画の中でも、全壊してしまった家があり、無傷で助かった家があり、災害というものは、地域の人々にとって決して公平なものではありません。その不条理の中で、人々は、なんとか力を合わせ、心をひとつにして復興に向けて取り組まなければならないのです。

外部の人々が企画する支援イベントが、地域の分断をより深刻なものにはしていないでしょうか。参加の動機は善意であっても、それが必ず役に立つとは限りません。

「奇跡の1000人田植えの収穫祭」に参加をご検討の皆さまには、その行動がもたらす結果を、今一度よくお考え戴くことを切に願っております。